コスモスには風が似合う。
秋風が気まぐれな秋空のご機嫌をうかがうようにそよぐ頃、コスモスはとても美しい。
秋桜をコスモスと読むようになったのは、今から40年近く前に山口百恵が歌った「秋桜」からなのだとか。
多感な少女時代に聴いた「秋桜」にあふれていたのは、母と娘のやりきれない思い。
嫁ぎ、巣立っていく娘と送り出す母親の切なさが、今もあのメロディの中に生きている。
どんなに時代が変わっても、母娘をつなぐ思いはシンプルでありながら、たとえようもなく深いものに包まれている。
嫁入り支度の着物を母と選んだあの頃。
「そんな地味な色のものではなくて、もう少し若々しい色にすればいいのに」
幾度も母は言っていたっけ…・
「これがいいの。これなら60歳になっても70歳になっても着られるもの」
そう答えたことも、はっきりと覚えている。
確かに…なんて地味な着物を・・・と、この年になると思う。
無理もない。
今の私はもう、あの頃の母と同じくらいの年齢になっているのだもの。
母が持たせてくれた何枚もの着物になかなか袖を通せないでいるけれど、その1枚1枚には母の思いが詰まっているのだと「秋桜」を聴くたび思う。
次の休日がさわやかな秋晴れだったら、着物たちに秋風を通してあげよう。
27回目の結婚記念日を迎える9月、そっと心に決めた。
文・写真 堀内利子(ハーバルセラピスト)