長野の3月は“春”というより、冬の終わりを伝えてくれる。
春の気配を遠くに感じながら、卒業式帰りの親子連れの姿を車の窓越しに見かける季節。
遠い昔に母と迎えたその時を、母となった私も娘とその門を何度か後にした。
卒業という別れと門出。
入学という出会いと始まり。
それは子どもにとっても、親にとっても、大きな大きな節目の時。
“卒業と入学”が常にセットのはずが、それもやがては終わる。
どんなに長く思えるものにもいずれ終わりの時が訪れ、その時になって初めて「限り」のあることを知らされるのだけれど…。
それにしても、3月ほど涙の似合う月は他にないだろう。
けれど3月の涙は、悲しみや寂しさだけではない夢や未来へと続く涙。
「3月」は心の中に煌めくような希望をキラキラと映し出してくれる、温かな光そのもの。
卒業という別れの涙から1か月ほど後には、春の遅い長野ではようやく桜が咲き始める。
入学式も済んで、ようやく新しい学校生活になじみ始めた1年生を優しく見守るかのように。
そして3月の後にやってくる4月は道端にも、そして新入生の心にも、必ずたくさんの春の花を咲かせてくれる。
文・写真 堀内利子(ハーバルセラピスト)
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古いアルバムをみつけ開くと、そこには30年以上前、中学校の入学式の日の制服姿の私と着物姿の母がいました。
ふいに目にとまった一枚のスナップ写真は、当時の緊張や希望に満ちた朝を切り取り、遠い日の記憶を今に届けてくれました。
写真というものは、流れ消えていく記憶を蘇らせてくれる、未来への手紙のような役割も、持っていたりするものなのかもしれません。
記念のその日の私をより美しくするためのお稽古。春のおけいこはコチラ