10月が後半にさしかかると二十四節気の巡りは「霜降」(そうこう)。
朝夕の冷え込みを全身で感じた木々が、急ぎ足で冬支度を始める頃。
高地から市街地へと紅葉がすそ野を広げる。
そして、夏の太陽の恵みを受けて育った柿やぶどう、そしてリンゴ。
そんな秋の果物の色が、そのまま「和の色」になっている。
柿色
栗皮色
ざくろ色
桑の実色
みかん色
赤く、濃い色が多いのは大地の豊饒な恵みを表しているようにも思える。
けれど、
成熟の豊かさの陰に隠れて、ほんの少々切なさが伴うのはなぜだろう?
若草色
若葉色
そんな初夏の、和の緑色は数多い。
同じように、秋のもみじの色も決して一色ではない。
けれど・・・はたと気づいた。
運転初心者の若葉マークに対して、高齢者のもみじマーク。
これもまた、新緑のまぶしさの対極にある「わびさび」マークのように思っている自分がいることを。
1年の始まりと共に、余裕たっぷりだったカレンダーも
気が付けば残り少なくなってきて、にわかに気持ちだけが焦る10月の終わり。
日の暮れの速さが、そんな焦りを更に追い立てるけれど、
焦らない、慌てない。
そんな思いに駆られる時ほど、真の大人は慌てないものなの。
秋の終わりの自己暗示のひとコマ。
文・写真 堀内利子(ハーバルセラピスト)
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