“甲高幅広の思秋期”和装・和のこと VOL.31

コラム 和のこと

オシャレは足元から、というけれど、いつしか「オシャレは我慢」に変わり、それがとうとう限界を迎えていた。

日頃の移動は車でも、都心へ行くととにかくひたすら歩く。
中ヒールの靴でさえもう限界、ヒールの低いものなら!と選んだはずの靴なのに、とにかく痛くてたまらない。

身に付けるものは機能より見栄え。
楽なものより美しいもの。
決してカジュアルであってはならず、目指すべきはエレガンス。
多少の窮屈さは なんのその。寒さをこらえてでも大切なのはシルエット。
そんなポリシーそのものが私のファッションの基本だったはずなのに、いつの間にこんなにも高いハードルになってしまったのだろう。

限界を超えてまで我慢し続けないことは、大人の悟りなのよね…きっと。
なぜだかとってもラフな気持ちでそう思えた瞬間、高いと思っていたハードルは案外と楽に乗り越えることができた。
自分の足にきちんと合った靴を選ぼう!
それが少々オバサンぽくっても。

そんな私の高すぎるハードルを優しく介助してくださったのは、伊勢丹靴売り場のシューフィッターさんだった。
細やかに私の足を計測してくださり、思っていたとおり「甲高幅広」の測定結果をいただき、なのになぜだかとっても晴れやかな気持ちでいっぱいになる。

たかだか100年ほど前まで日本人はみな草履や下駄を履いていて、そんな日本人のDNAが簡単に消えてなくなるわけないもの。
着物を着てしゃなり、しゃなり歩くことは、レッドカーペットを進む女優がつま先の細いハイヒールで颯爽と歩く姿とは対極だけれど、そこには着物という和文化が常に寄り添いながら長い歴史を刻んできた。
足が短いというより、胴が長い日本人の体形にはぴったりと合う「着物」があって、甲高幅広の足には草履がある・・・究極そこに行きつけるのだとしたら、オバサン体系に変化することも悪くないかも・・・
そんなことをグルグルと思う思秋期、私の足にぴったりと合ったオバサン靴は軽やかな歩みと共に、これから益々険しくなる大人の階段を頼もしく導いてくれる事だろう。

文・写真 堀内利子(ハーバルセラピスト)

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